
2015年6月1日
会津地方では山椒(さんしょう)の芽が出る5月初旬から6月にかけて「にしんの山椒漬け」を作り始めます。
「にしんの山椒漬け」の由来は、北海道でとれたにしんが新潟を経て会津へ着くのがちょうど山椒の芽がでる時期と重なり、にしんの山椒漬けが生まれたといわれています。
そして、雪国の会津地方では田植え前に体力をつけるために、にしんがちょうどよいタンパク源になっていたそうで、郷土料理として受け継がれてきたのではないかといわれています。
私は会津地方に住むようになって初めてこの料理を食べました。
当時、身欠きにしんのこんなにおいしい食べ方があったの?!と感心したものです。
そして、「にしんの山椒漬け」を漬ける専用の鉢「にしん鉢」があるということも、とても興味深く思っていました。
今回はその「にしん鉢」を作っていらっしゃる、宗像窯(むなかたがま)さんを訪ねました。
白鳳山(はくほうざん)の良質の的場陶土が発見された会津美里町の本郷地区は、古くから焼き物の町として栄えてきましたが、現在、陶器製のにしん鉢を焼いている窯元は「宗像窯」さんだけです。
「宗像窯」さんの歴史は古く、享保4年(1718年)頃から始まり、現在は八代目当主である宗像利浩さんが受け継がれています。
地元の土と釉薬(うわぐすり)にこだわり、土は的場陶土、釉薬(うわぐすり)は楢や松の木の灰を調合した土灰釉(どばいゆ)を使用するという伝統の技法を現在も守り続けていらっしゃる窯元さんです。


宗像窯さんへおじゃまさせていただくまで、鉢は当主の八代目宗像利浩さんが作られているものと思い込んでいましたが、実は当主の奥様である眞理子さんが作っていらっしゃいました。
眞理子さんは嫁がれると同時にお姑さんからにしん鉢の作り方を伝授されたそうです。
長方形のにしん鉢はろくろを回すのではなく、板状に伸ばした粘土を5枚貼りあわせる「たたら」と呼ばれる技法で作ります。
粘着性のある的場陶土と会津の風土から生まれた技法なのだそうです。
明治の終わり頃まで、「神聖なものとされていたろくろは、男性の仕事。たたらで作るにしん鉢は女性の仕事。」とされてきたのだと。
伝統とともに受け継がれてきたひとつの風習として今も残っているようです。
釉薬(うわぐすり)である、飴釉(あめゆう)をかけて焼くにしん鉢は、落ち着いた茶色に仕上がります。
飴釉を使うと塩や酸に強く、ひび割れのない丈夫な鉢に仕上がるのだとうかがいました。
大きさは身欠きにしんが丁度収まる25cmのものが主流です。
にしんだけではなく、漬物を陶器鉢で漬けるとおいしいといわれるのは、陶器が呼吸をすることで気温や湿度を調節し、発酵がうまくいくのがその理由なのだとか。
眞理子さんから「宗像窯」さんのにしん漬けのレシピを伝授していただいたので、山椒の芽が出る季節の到来を待ち、自分で漬けてみました。
[材料]
身欠きにしん・・・・20本
山椒の葉・・・・・・手のひら1杯
酢・・・・・・・・・1カップ
醤油・・・・・・・・1カップ
酒 または みりん・・1カップ
[作り方]
(1)にしんは、タワシでこすりながら流水でよく洗い、水分を拭き取り、頭と尾をとる。
(2)山椒の葉は枝からはずして、洗って水をきる。
(3)にしん鉢に山椒の葉をしき、にしんと山椒の葉を交互に重ねる。
(4)つけ汁を注ぎ、重石をのせてにしんが汁より浮かないようにし、一週間を過ぎると食べごろになります。



待つこと一週間、山椒の香りがにしんに浸みこみ、にしんの生臭さが消え、山椒の香り立つ、きりりとした味わいに漬けあがっていました。
会津の歴史と風土、生活の知恵を感じることができる「郷土食」です。

宗像窯さんには山の傾斜を利用して作られた東北最古の「登り窯」があります。
東日本大震災で壊滅的な被害を受けましたが、「宗像窯登り窯再生プロジェクト」により修復され、震災の翌年には窯に再び火が点けられました。


ガス窯の普及により、登り窯で焼くことは少なくなってしまったそうですが、火の色で温度をはかり、薪一本で調節して焼いた作品はとても味わいの深い作品に焼き上がるのだそうです。
これからも登り窯を守り、ニシン鉢を焼き続けていただきたいと切に願います。

当主の奥様 宗像眞理子さん
宗像窯
【住所】福島県大沼郡会津美里町字本郷上甲3115番地
【営業】9:00~17:00 定休:水曜日
【TEL】0242-56-2174
【URL】http://www.munakatagama.net/