
原発事故によって福島県の農林水産業は深刻な被害を受けました。化学的に合成された肥料や農薬を基本的に使用しない“有機農業”を営む農業者にも大きなダメージを与えました。
それは、原発からの放射性物質という“化学的物質”が、大切に手入れしてきた田畑に降り注いだことから、抱えている顧客が自然志向・健康志向の方々であるため、多くの方がやむにやまれず離れていってしまったのです。
しかしそのような中でも、あきらめずに食と農の再生を目指している方々がいらっしゃいます。

2013年3月16日に、福島県の農産物(有機・減農薬)・特産品の販売と食の提供、交流・体験の窓口、さらに東京に避難している方の集う広場として開設された「ふくしまオルガン堂 下北沢」。
その設立に尽力された、特定非営利活動法人福島県有機農業ネットワーク 理事長 菅野 正寿(すげの せいじ)さんに、「ふくしまオルガン堂 下北沢」にてお話を伺いました。
今回はその3です。
その1 協力して有機栽培を広めていこうという想い (2014年2月4日公開)
その2 顔の見える関係を作って情報交換しよう (2014年2月5日公開)
その3 福島と首都圏を結ぶ場所そして人 (2014年2月6日公開)
農業の問題は農家だけで解決できると思っていた
一般の消費者、研究者、NPOなどの市民団体、いままであまり繋がりの無かった方々から、いままででは全く考えられないような繋がりを得て多くの支援を受け、積極的な活動と真摯な情報発信を行ってきた“福島県有機農業ネットワーク”。
「福島の有機農産物を、もちろんしっかり検査しそれを伝えながら、販売できる場所がほしいと思っていました。
少しずつ福島に対する関心が失われていくのを肌で感じていたので、福島の現状を発信し、それを受け取れる、知ることが出来る場所がほしいと思っていました。
そして、大変理不尽なことに福島から避難せざるを得なかった人たち、この人たちが集まれる場所がほしいとも思っていました。」と菅野さん。

そんな想いを胸に、形にしたのが「ふくしまオルガン堂 下北沢」。2013年3月16日のことでした。
オルガン堂のWebサイトのコンセプトには「福島県の農産物(有機・減農薬)・特産品の販売と食の提供、交流・体験の窓口、 さらに東京に避難している方の集う広場」と記されています。
菅野さん達の想いと震災後から支援してくださった方々の共通の想いが結実したのです。

「まさか実現するとは思わなかったと菅野さん。
「農業の問題は農家だけで解決できると思っていました。特に有機農家は大きな組織を頼りにせず自分で切り開いてきたので“俺は他とは違う”という意識もどこかにあったかもしれません。
しかし震災を受けて、自分一人では解決できない、色々な人とネットワークを組むことの大事さを始めて感じたわけです。
ですから店をつくるときも率直に、我々は店を作りたいんだけれども良い場所はないかと、ボランティアの方やNPO団体、そして東京の自治体にお聞きしたんです。」
自分の力で物事を解決に導くことは確かに痛快です。しかし震災後、自分の力で成し遂げたと思っていた物事は、実は様々な方々の手助けがあって成し遂げられていたということを、私たち福島県の食に関する産業の人間は身をもって知ることとなったのです。
そして菅野さん達の凄さは、そのことをしっかり認め人に力を借りることをお願いできる、その素直さにある、そう私は思いました。
ここを拠点として
オルガン堂の店長の阿部直実さん。実は震災前は福島に関心があったわけではありませんでした。
震災後福島県のために何かしたいと強く思ったそうです。しかし、何かしたいけど何をしたらいいかわからない、そんな日々を過ごされていたそうです。
そんな時に原発事故を受けて東奔西走し福島の現状を情報発信しながら必死に販売活動を行っている“福島県有機農業ネットワーク”の人たちの姿をメディアで見て、この人たちの手伝いなら自分にもできると思い立ち、販売ボランティアとして協力されたそうです。そしてその繋がりから店長に。
「オルガン堂を起点に福島のために何かしたい人たちが集まり情報交換をして、そして実際に福島に赴く、そういう場所になっているのがとてもうれしいです。
この前は学生さんたちがここから福島に向かったんですよ。」と笑顔でお話される阿部さん。

菅野さんからも阿部さんを始めとしたスタッフの方達のお話をする姿からは、その感謝の気持ちと仲間としての親愛が強く伝わってきました。

このオルガン堂について、
「ここの店は決して広くはないです。そして来て下さる人はみなさん福島の農作物や状況を聞きたかったり、福島に対する思いを話されたり、そういった意志を持ってきてくださる方々ばかりなので、滞在時間が長い。回転率は悪いです。」と大笑いされる菅野さん。
「ただここを拠点として、福島に行く、農家を訪ねたい、そういった福島に足を運んでくださる方が非常に増えました。そしてそれが続き繋がっていく。ここがまさに福島と首都圏の繋がりの場所になったんだな、そう思います。」

スタッフの方達の談笑する姿も心地よく、私は東京にいるのに福島にいるようなそんな不思議な感じを受けました。
震災と原発事故は大変な被害を福島県にもたらしました。しかしその一方で、新しい繋がり、以前よりもずっと強い繋がりも生まれたのです。
その繫がりを感じられる場所、それがここにあります。