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福島の食文化研究家・管理栄養士 平出美穂子さん編-その2-

日本各地にはその地において脈々と受け継がれてきた「食文化」があります。
もちろん福島も例外ではなく、各地域に「食文化」が根付いています。

その福島の「食文化」にはどのような特徴があり、
そしてその「食文化」が震災・原発事故によってどのような影響を被ったか、
そして新たにどのような展開を迎えているか、
そのことを、福島の食文化を長年研究されている平出美穂子さんに伺いました。

 

今回は-その2-です。
その1  福島県「食文化」の多様性(2013年4月10日公開)
その2  「食文化」が奪われた  (2013年4月11日公開)
その3  新たな「食」の交流   (2013年4月12日公開)
 
 
 
 

「郷土食」と「伝統食」の違い

「伝統食」というものは、その「地」の中で受け継がれてきたものと思っていた私ですが、
各地との文化的交流も大きくかかわっているのではとお話を聞いて感じたので、その点について伺いました。

「郷土食」というものはその「地」で生まれたものでしょうが、それと違い「伝統食」というものは、
代々引き継がれてきて確立されてきたものであり、その地域の文化を象徴するものではないでしょうか、と平出さん。

「郷土食」と「伝統食」というものは似ているようで少し違う、その気付きは私にとって新鮮なものでした。

福島の伝統食のエピソードとして、スルメとニンジンを細切りにし、醤油、日本酒、みりんなどで味付けする
「いかにんじん」という中通り北部の伝統食について伺いました。

一説によれば、1805年ごろ北方の警備強化のために蝦夷地を幕府が直轄統治するようになり、
当時蝦夷地を治めていた松前藩が現在の福島県伊達市にあった梁川藩に国替えになった際、
梁川で食されていた「いかにんじん」を松前藩の人々が知り、再度国替えで蝦夷地に戻った際に、
蝦夷地で豊富に存在していた「昆布」と「いかにんじん」を組み合わせることで、
あの「松前漬け」が生まれたとも言われている、と平出さん。

逆に「松前漬け」が松前藩からもたらされ「いかにんじん」が生まれたという説もありますが、
歴史的な事象から各地の文化交流が深まりそれが「伝統食」という形で確立されその地域の文化として受け継がれていく。
「食文化」というものが、ここまでスケールが大きくロマンにあふれるものであったとは!
私は初めてそのことに気づかされました。

「食文化」というものは最近学問的にも注目されるようになったけれども、
歴史というものを知らないとその地の「食」がわからない。

おっしゃる通り「食」というものは一つの「歴史」でもあるのです。
 
 
 

「食文化」が奪われた

残念ながらこのように先人たちが積み上げてきた「伝統食」が、
震災・原発事故によって脅かされてしまっている福島県の現状。
その点についてお聞きしました。

原発事故発災により原発周辺の方々が数多く会津へ避難されてきたそうです。
その方々に対して、会津の冬の過ごし方とともに、
「乾物」の使い方をお話しした際に、実際に会津の伝統食「こづゆ」を食べて頂いたとのこと。
その「こづゆ」に入っているもので「えのきだけ」だと思っていたものが「貝柱」であったことを知った避難者の方が、
会津では「乾物」をこんなにも使用されていることに驚かれたそうです。

会津の方々にとって「乾物」を使用した食というものは日常のものですが、
新鮮な魚介類が常に手に入る食生活に慣れていらっしゃった避難された方々にとっては、
分からないことだらけであり慣れるのにも一苦労なのです。

浜の方たちが会津にいらしてこれから「文化」に触れていくのはとても大変なことであり抵抗もあると思います、
との平出さんのお言葉。
自らが望まずして避難せざるを得ず、
知り合いもほとんどいない全く気候の違う土地に行くということだけでも大変なことであるのに、
生きる源である「食」においても地元と全く異なるなじみの薄い「文化圏」に慣れるしかない、
このことがどれほど負担になるか、改めて思い知りました。

まさに「食文化」が奪われたのです。
 
 
次回、新たな「食」の交流 は4月12日(金)にお届けします。


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