
2016年11月30日
西に阿武隈山地、東には太平洋、そして町には木戸川や井出川が流れる自然豊かな楢葉町。
気候も温暖で、積雪も年に数回のため、寒暖の差が少なく過ごしやすい地域としても知られています。
しかし、東日本大震災とそれにともなう原発事故の影響で、一時は町の大部分に避難指示が出され、立ち入ることも、住むこともできない時期がありました。現在は安全が確認され、町民のみなさんは少しずつ楢葉町に戻りつつあります。来年の4月には小学校、中学校も再開する予定のため、町内では建物の修復作業などが行われています。
昨年からは木戸川での鮭漁も再開し、昔ながらの漁法を一目見ようと、多くの人が見学に訪れています。今回は、この木戸川で鮭漁を行う木戸川漁業協同組合の鈴木謙太郎さんにお話を伺いました。
木戸川で獲れた鮭は、ふ化事業に適さない身やイクラを食用として販売するのはもちろんのこと、採卵し受精させ、稚魚に成長させて川に放流しています。稚魚を毎年放流することは鮭漁を継続していくためにはとても重要なことで、漁を安定させるためには一定数の放流が必要です。しかし、震災後4年間は稚魚の放流を行うことができなかったため、何十年もかけて作ってきた漁のサイクルが失われてしまいました。
昨年からようやく漁を再開することができ、獲れた鮭の卵を「鮭ふ化施設」で取りだし、受精させ、稚魚に成長した鮭を放流することができました。


施設内では採卵作業が行われ、受精させた卵は川に見立てたふ化槽の中で育て発眼したら検卵機という死卵を選別する機械にかけ、良質卵をまたふ化槽に戻します。ふ化する前に、施設内の外池にある別の浮上槽という水槽に移され、体長約3センチになるまで成長させ、その後餌付けをし、3月~4月にかけて体長5~6cmの稚魚を川に放流します。
楢葉町の木戸川に放流された稚魚は、北上し、ロシアやアラスカの方にまで行き、成魚になっていきます。そして、産卵するために木戸川に戻ってくるのです。川に遡上するまでは平均すると4年ほどですが、魚によっては2年~7年かけて戻ってくるものもいるようです。
大海原を回遊する鮭が、数年後に木戸川に戻ってくるとは、とても不思議ですよね。なんと、鮭は自分の最初の川の匂いや、放流された時の太陽や月の位置などを記憶していて、それらを頼りに故郷に戻るのだそうです。
しかし、全ての鮭が川に戻れるわけではありません。途中で力尽きてしまったり、違う漁場で水揚げされてしまったりと、自分の川に戻れるのは放流した全体の0.5パーセントほどと言われています。
このような長い時間をかけて、遡上してきた鮭を漁で捕獲するのです。
木戸川では漁の時期のなると、「やな場」が組まれ準備が行われます。
「やな場」を組むことによって、鮭はこれより上流に行くことができなくなります。
木戸川では昔ながらの「合わせ網漁」という漁法で漁が行われます。「合わせ網漁」とは、下流に張った網に、上流から漁師さんたちが網を持って鮭を追い込む方法です。





網にかかった鮭は一匹ずつ外していきます。


震災から4年間、稚魚を放流することができなかったので、現在、遡上してくる鮭のほとんどは自然産卵で生まれた鮭です。そのため、震災以前と比べると遡上する鮭は少ないのが現状です。
メスは採卵し、受精させて次回の放流のための準備を行います。まだまだ、以前の遡上のサイクルに戻るまでは時間がかかりそうですが、木戸川漁協では以前のような活気のある漁場に戻るように、少しずつ放流する稚魚の数を増やしていきたいと考えているそうです。


木戸川漁協の隣には直売所もあり、漁で獲れた鮭は捌いて店頭に並びます。今年は獲れる数が少ないため、すぐに完売してしまう日もあるようですが、新鮮な鮭やイクラが手に入ると多くのお客様が詰めかけています。
特に大粒の新鮮なイクラは人気商品です。
その他にも、切り身や白子などが販売されています。切り身も白子も生臭さが無く、鮭本来の脂がのった旬の味を楽しむことができます。

漁は11月まで続きますが、直売所は商品が無くなるまで営業は続きます。

お話を伺った木戸川漁業協同組合の鈴木謙太郎さんです。
鮭ふ化場長として、来春に放流する稚魚を一匹でも増やすために、細心の注意を払ってふ化作業を行っています。そのためにも、きれいな水質の木戸川を守っていきたいと語っていらっしゃいました。
一匹でも多くの鮭に木戸川に戻ってきてほしいですね。