
福島県の酪農は原発事故による被害が最も早く、そして顕著に表れた産業であるといえます。
地震・津波による被害の収拾もままならぬうち、2011年3月21日には福島県全体の原乳が出荷制限となり、またチェルノブイリ原発事故における甲状腺がんの原因が汚染された牛乳であったということから、そのことがセンセーショナルに取りざたされ多大な影響を受けるなど、大変な苦労をされている酪農家の方々の姿は今でもはっきりと思い出すことが出来ます。

そのような中においても、なお福島の酪農の火を消すわけにはいかないと力強く前に進んでいる福島県の酪農界の実情を、ご自身も古殿町で酪農を営んでおられる、酪王乳業株式会社 代表取締役社長の大竹 芳雄さんにお話を伺いました。
今回はその2です。
その1 地震の影響も甚大だった (2014年3月17日公開)
その2 戻らない現状、そこで支えとなったのは (2014年3月18日公開)
その3 酪王カフェオレがみんなをつなげる (2014年3月19日公開)
その4 牛乳がおいしいから (2014年3月20日公開)
組合が非常時に大きな役割を
そんな精神的にも過酷な状況下における、ご自身を含めた組合員の酪農家の方の心境をお伺いすると、「不思議とやめずに頑張っていた。なんとか我慢していた。」と意外なお言葉。
「一年以上、経営が苦しい状況が続いたのは間違いなかったです。しかし、福島県酪農業協同組合として賠償請求に関する動きは相当早かったですし、窓口を一本化することで組合員の負担も減った。組合が非常時に大きな役割を果たしたんです。」
農協には様々な関わりや意見がある方もいらっしゃると思います。ただ、こういった非常時に極めて重要なセーフティーネットとして働いたということは、もっと評価すべきと思います。
“相互扶助”の精神をもう一度再評価することが大事だ、私はそう思いました。
30年の信頼が失われた
とはいえ、原発事故によって受けた信頼への傷は大変に深いものでした。
「30年以上にわたって首都圏に産直牛乳として宅配を行っています。しかし今回の原発事故で宅配数が半分以下になってしまった。
30年が一瞬で失われました。」

地道に積み上げてきた信頼を突然失う、これ程理不尽なことはありません。
また大竹さんは、
「3年近くたって、すでに原発事故の影響は低減してきているとお思いの方もいらっしゃるかもしれませんが、原発事故一年目に売上高が2割減った状況が二年目・三年目も続いており、残念ながら回復の兆しが見えない状況が続いています。」
もちろん、ただ手をこまねいていたわけではありません。公的機関によって行われる放射性物質検査だけではなく、徹底した自主検査を行いその結果を全て公開していますし、当然今後も続けていくとのこと。
トレーサビリティシステムも完備しており、ホームページで情報を入力すると生産地や生産者を知ることもできます。
また復興支援や販売促進に関わるイベントへの参加も積極的に行ってきました。
それでもなお、売り上げ2割減という状況が続いているのです。
「福島県産のものを手に取ってくださる方と避ける方と、消費者の方が大きく2つに分かれてしまったように思います。そして避けたいと思っていらっしゃる方々へ色々と情報発信してもなかなか難しいと実感しています。」
大竹さんの言葉からは福島県の酪農家としての苦悩が伝わってくるようでした。
皆さんに支えられた
そのような苦境にあって心のよりどころとなったのが、酪王の製品を応援してくださる方々でした。
「一般の方々から応援の言葉を頂き、それだけではなく寄付金までも頂き、大変にありがたかったです。その暖かいお言葉やご支援を組合員への会報へ掲載させていただいています。組合員にとっての大きな支えであり元気をいただいたと思います。」
大竹さんはご自身も実際に酪農を営んでいらっしゃるからでしょうか、その言葉には心からの感謝を感じました。

震災後、被災地の生産者のために何かしたいが何をしていいかわからないし、何もできる事がないとの声を多く伺ってきましたが、
温かい応援のメッセージを頂くだけでも、私たち生産者の力強い支えとなったのです。
決して何もできないということはありません、皆さんのその温かい想いが私たちの支えとなったのです。
次回、酪王カフェオレがみんなをつなげる は3月19日にお届けいたします。