
福島県の酪農は原発事故による被害が最も早く、そして顕著に表れた産業であるといえます。
地震・津波による被害の収拾もままならぬうち、2011年3月21日には福島県全体の原乳が出荷制限となり、またチェルノブイリ原発事故における甲状腺がんの原因が汚染された牛乳であったということから、そのことがセンセーショナルに取りざたされ多大な影響を受けるなど、大変な苦労をされている酪農家の方々の姿は今でもはっきりと思い出すことが出来ます。

そのような中においても、なお福島の酪農の火を消すわけにはいかないと力強く前に進んでいる福島県の酪農界の実情を、ご自身も古殿町で酪農を営んでおられる、酪王乳業株式会社 代表取締役社長の大竹 芳雄さんにお話を伺いました。
本日より4回に渡ってお届け致します。
その1 地震の影響も甚大だった (2014年3月17日公開)
その2 戻らない現状、そこで支えとなったのは (2014年3月18日公開)
その3 酪王カフェオレがみんなをつなげる (2014年3月19日公開)
その4 牛乳がおいしいから (2014年3月20日公開)
牛は機械ではない
酪王乳業株式会社は、福島県酪農業協同組合に所属する酪農家の出資で2007年に設立された生産販売会社です。
「酪王」の名前の由来は「酪農の王様」という意味で、前身組織の時代である1975年に全国からの公募によって生まれたブランド名であり、現在もそれが受け継がれています。
「酪王」は福島県内において非常にメジャーかつ身近な存在であり“おらがまちの牛乳”と思っていらっしゃる方も多いと思います。
その多くの福島県民になじみのある「酪王」にも東日本大震災は容赦なく牙をむきました。
「地震の直接の影響によって、工場の機器が壊れました。また、停電によって乳製品の製造を行うこともできず、完全に生産・流通停止の状態でした。それに、何とか集荷しようにも、燃料がない状況でもあり深刻な状況でした。
酪農の現場においても同様で、牛舎や施設・機械が壊れたり、停電・断水・燃料不足に苦しんだりしていました。」

冷蔵庫製品転倒

配管が折れる
原発事故の放射性物質の影響で出荷が止まる以前に、地震の被害によって乳製品を生産できる状況になかったことは、あまり皆さんには知られていないことかもしれません。
原発事故の被害ばかりクローズアップされる福島県の酪農ですが、地震の被害も甚大だったのです。
そして何とか生産・流通の体制を整えようとした矢先に起きた、原発事故とそれに伴う出荷制限の措置。
避難せざるを得ず断腸の思いで飼い牛を置いて来ざるを得なかった方々、避難には至らなかったもののせっかく搾った原乳をただ捨てる日々を送る方々、みなさんがメディアでご覧になった悲劇的な状況は、残念ながら事実でした。
しかし、その影響は出荷制限が解除されたからと言って即解消されたわけではありませんでした。

「震災直後からしばらくはエサの供給もストップしていたので、与える量を減らさざるを得ませんでした。
また、出荷制限中も乳量を増やすわけにはいきませんので同様にエサの量を減らしていました。
その結果、乳量は震災前の三分の一程度まで減らしていたわけですが、いざ出荷を再開するとなって、エサを元通り与えても乳量はなかなか戻らない。
戻るまでに一年近くかかったかもしれません。メタメタな状況ですよ。」と苦笑される大竹さん。
このことに私は正直驚きました。一時の出荷制限が、これほどまで長期間にわたって生産に影響を及ぼすとは思いもしなかったのです。
「牛は機械じゃないから。工業製品みたいにすぐにパーッとはいかないんです。」
生命を扱っている農業、いったんその営みをストップさせてしまうと、うまく循環していた流れが途絶えて淀んでしまう、そしてなかなか戻らないものである、そのことをみなさんにもぜひ知って頂きたいと思いました。
次回、戻らない現状、そこで支えとなったのは は3月18日にお届けいたします。