
東日本大震災の発災、そしてそれに伴う原発事故直後。日本中のほとんどの人が放射性物質の知識など持ち合わせておらず、“目に見えない恐怖”に混乱していた頃。
そのような状況の中、専門的知識をもって冷静に状況を情報発信された方がいます。
その方は、早野龍五さん。東京大学大学院理学系研究科教授であるとともに、世界で最も大きな物理学の研究所といわれる「CERN(セルン)研究所」でも研究をなさっています。
その早野さんの情報発信によって日常を取り戻すことが出来た一人、そうお話されるのが糸井重里さん。以前のわたくしとの対談でもわかる通り、震災による被災地の復興に尽力されています。
このお二人の対談にわたくしも参加させていただきました。その内容は糸井重里さんの「ほぼ日」にも掲載されていますが、
福島県に住む・福島県の農家であるわたくしの視点で、その対談を振り返ります。
本日より6回にわたってお届けします。
その1 いつ会うの?いまでしょ! (2013年9月2日公開)
その2 伝える姿勢ですべてが変わる (2013年9月3日公開)
その3 アイディアと行動が道を切り拓く (2013年9月4日公開)
その4 つたえる、のこす。 (2013年9月5日公開)
その5 数字もデータもそして心も (2013年9月6日公開)
その6 苦しいけど、楽しいこと (2013年9月7日公開)
時期がよくないと

早野さんに対して「いつかお会いするっていうのを、自分で勝手に決めていたみたいなところがあるんです。」と糸井さん。
その理由として、震災から間もない時期はとにかくまずは復旧をということで、普段だったら受入れられる言葉や行動も少し遠慮しなければならないことがあった。
今ようやく振り返ったり先の話をしたりする時期に入ったのでは、とお話されました。
まさにそういったことがあったなぁ、と私の脳裏にいくつかの出来事が思い出されました。
論理的にあるいは科学的に正しい話であっても、その話が受け入れられない・受け入れがたいものとなり、誤解や対立を生む出来事をいくつも見てきました。
人との対話そしてその内容の世の中への伝わり方は、論理だけではなく、感情そして時期も重要なのです。
更に糸井さんは「ぼくは早野さんと、ただ事実の話をしたいんですけど、それが「ある考えを持ったグループ」みたいに思われてしまいそうな予感があった。
「そういうパーティー」としてとらえられるのがイヤだったんです」ともおっしゃいました。
この話も非常に実感をもってお聞きしました。当時は、ただ “事実”の数値やデータを示しただけでも、受け取り方に様々な違いがあらわれる事例をいくつも見てきました。
特に、情報が乏しかったこともあって、福島県産農林水産物に関する態度には、人それぞれの想いが交錯する事がありました。
ある程度の時間を経て、検査体制が整い、データがそろってきた今こそ、冷静に福島県産農林水産物の今後について議論する時なのかもしれません。
先生だって人間です
それに対し「とくに、先の話をしたいですね」と早野さんはお答えに。
早速、震災直後のお話や将来展望に入るのかと思いきや、出てきた話題はおまんじゅうやホットケーキの話。会場の雰囲気が一気に和みました。
教授や政治家、官僚あるいは著名人の方々は、 “特殊な人たち”として一歩距離を取られたり、“肩書き”で判断されたりすることがあります。
それ故に、普通では考えられないような態度で対応されたり、色眼鏡を通して見られたりしやすいのです。


しかしながら、震災後そういった方々に多くお会いした私からすれば、みなさん普通の感性をもった“普通の人たち”です、美味しいものについて雑談するような。
そして実は、福島県に住む人や福島県の農林水産業者は図らずして“特殊な人たち”に見られる立場にされてしまいました、以前と変わらず“普通の人たち”であるにもかかわらず。
これから福島県産の農林水産物の現状をご理解いただくうえで、この現場に携わっているのは“特殊な人たち”ではなく、皆さんと同じ“普通の人たち”なんですよ、
ということをまずご理解いただくのが、誤解や対立を未然に防ぐ一つのキーポイントであると、私はお二人の掛け合いを見て感じました。
次回、伝える姿勢ですべてが変わる は9月3日にお届けいたします。